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雑記

Lチキを食べながら帰るのが一番幸せだった頃

 

生時代の方が幸せの基準が低かった。

そんな風に思うのは、中学時代の自分を思い出したせいである。

 

 

当時の私は、下校中に買い食いをするのが何よりの楽しみであった。

学校が終わり、家の最寄駅まで戻ればそのままローソンへと入り、「Lチキ」を買う。
Lチキというのはあの「ファミチキ」のローソン版だと思っていただければ良い。

ローソンを出ればすぐに袋をビリリと破り、食べ始める。
買い食いをする時は大体友達も一緒だったが、
ここからの時間は互いに少しだけ無口になる。

無口で、そして夢中であった。
Lチキは男子学生の好みを言い当てたような食べ物で、まず味が濃い。
ケンタッキーのチキンで皮の部分を食べると、塩分が集中してすごくしょっぱい部分があると思うが、Lチキの皮は全部がそれである。

そして忘れてはいけない魅力が、ベタに「外サクサク、中ジューシー」である。
一口目をガブリといった瞬間に肉汁(というかただの油)が飛び出てくるのである。
もうこれが確実に手やら服やらを汚した。

これがつくと、家に帰るまでずっと手がぬるぬるで鬱陶しいし、制服の袖につけばのちに白い汚れになって大変不恰好であった。
それでも、「これのおかげでうまいんだ」と理解していたため恨むことはできない。

既に外へとあれだけ飛び出したはずの油が、かじった肉の断面にあふれんばかり浮かびきらめている。
いったいどれだけの油がこのチキンの中に閉じ込められていたのか。
氾濫寸前の川を思わせるその様子を見て唾を飲んだ後、表面の油をじゅるりと啜る。

これがLチキを食べる時のパターンであった。

少し贅沢をしたいときは、Lチキと一緒にアイスを買った。
そのときは先にアイスを食べ、次にLチキ。
「冷たい」→「あったかい」の順番で食べるとそこには幸せがある。

実際、買い食いをしているときの私はささやかながら幸せを実感していた。
なにより幸せだったといってもいいかもしれない。

なんというか、こんなことが一番幸せと思う男子学生などどこか不憫にも思えるが、実際そうだったから仕方ない。

ただ、私が引っかかることといえば、「買い食いをしてるときが一番幸せ」という事実を当時の私が甘んじて受け入れていたということである。

今の私なら、「そんな、なんでもないことが一番幸せなんて老けた考えは嫌だ」とそう思ってしまう。幸せとはもっと劇的で且つ未知のものであるという期待がある。ずっとある。

しかし、これまでの人生でその一片でも目に捉えたことはなく、これからに関しても、今は期待できない。なら、やっぱりLチキでも食べて、「あーしあわせ」と思っていた私の方が本当に幸せだったのだ。

幸せの基準を高く設定するのは、いわゆる「若い頃」に起こり、徐々に収まっていくものだと思っていたが私はその逆を辿っている節がある。
歳をとるほどにその憧れがより眩しいものへ変わっていく。

これは愚かで悲しいことのようにも思えるし、これによって「自分はまだまだ大丈夫」と思える気だってしている。