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音楽コラム

なぜ今、多くの人を救うのか。/ back number 「水平線」

 

 

back number「水平線」がyoutube公開されてから約一年、
2021/8/13に配信リリースされた。
動画の再生回数は現在9000万回を超える。

このロングヒットの要因の一つに、「コロナが終わらない」という事実がある。
「終息しない」というネガティブな事実と、この人気を結びつけるのは失礼かもしれないが、それほど「今」求められる曲だということだ。

 

 

水平線が光る朝に あなたの希望が崩れ落ちて
風に飛ばされる欠片に 誰かが綺麗と呟いてる
悲しい声で歌いながら いつしか海に流れ着いて光って
あなたはそれを見るでしょう
     (back number-水平線 より)

back number –  水平線

自分が笑う時誰かが泣いていて、
自分が怒る時誰かは喜んでいる。

全てはまるで繋がっていて、且つ同時に起こっているかのよう。

スポーツなんかに置き換えるとわかりやすく、
自分らが試合に勝った時、当然相手は負けになる。
全く同時に起こる喜びと悲しみである。

だから、勝った方もガッツポーズを控えたりなど、
いろんな形で敬意が払われる。

ただ、こんなに分かりやすいパターンばかりでなはい。
人生、皆何かしらと戦っているが、試合をしているのとは違う

違いは相手の姿が見えるかどうかだ。
そもそも相手などいないのかもしれない。

そうなると、自分が誰と、どこと繋がっているか想像が難しい。

例えば、コンサートのチケット当選メールが届き、
自宅で大喜びし飛び跳ねている頃、
下の部屋の住人は騒音に腹を立てている。

相手の姿が見えなくなっただけでこの有様である。
とはいえ、ここまでは大抵の人間は考えられるから、近所迷惑にならない程度に収める。

では、静かに喜んでいる最中、
「でも、落選した人もいるんだよな」と思える人間は少数である。
そこまで考える人がいれば、真面目というより、正直生きにくい性格であると思う。

じゃあどうやって暮らすのが正解なのか分からなくなるが、
この「水平線」に関してはその答えになるような内容は示されていないと思う。

コメント欄など見ても、
心打たれたという内容のものは多いが、
ではどのあたりを受けてなのかは案外ぼんやりしている。
どさくさに紛れて曲に関係ない名言など書き残していく輩もいる。

 

ではなぜこの曲が多くの人間を救えたのか。

それは、「想像できる」のは優しさであるからだ。

 

「人の気持ちを考えられる人」が優しいというのはお分かりいただけるだろう。
それは想像力の上に成り立っていることである。

「今頃こんな人もいるだろうからこうしなきゃいけない」というような強制は不要。
ただ様々な可能性を考えることで、優しい気持ちになれて、自らの心に少し余裕が生まれることもあるだろう。

 

 

宇多田ヒカル – 誰かの願いが叶う頃

私の涙が乾くころ あの子が泣いてるよ
このまま僕らの地面は乾かない

誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない
  (宇多田ヒカル-誰かの願いが叶う頃 より)

 

andymori – teen’s

何もかもが満たされた夜ほど眠れなくなる (andymori – teen’sより)

 

 

 

これらの二曲と「水平線」との違い。テーマは同じであるが、

「自分が笑う時誰かが泣いていて、
自分が怒る時誰かは喜んでいる」

この前者にスポットを当てたのが「誰かの願いが叶う頃」「teen’s」、
後者にスポットを当てたのが「水平線」であると言えるだろう。

前者を深く考えようならおそらく結論は出せない。
自らの喜びに水を差してしまったり、不必要な興醒めを感じたりするだろう。

誰かの悲しみを想像することは非常に大切なことであるが、
先ほども書いたように、過剰になると人生が実に生きづらくなる。

一方、「水平線」は現在進行で苦しみの中にいる人間に最も寄り添えるものだろう。

 

 

 

私も書き始めて感じたが、
このテーマに結論など出せない。

結局は、出来事や感情の繋がりを「信じる」「信じない」の問題になるからだ。
そんな不確かなところに結論もメッセージ性も出せはしない。

だから、極めて個人的な「思うところ」が歌にされる。
先述の「人生が生きづらくなる」、その苦しさが真空パックで歌になる。

そこには手で触れられるほどのリアリティや熱量が宿っているものだ。(リンク先別記事あり)
個人的には「誰かの願いが叶う頃」の表現力は群を抜いていて、
その熱量とともに、触れたらハッとする金属のように無機質な冷たさがあると思う。

この曲を書いたのが当時21歳など、何度聞いても信じられない。

しかし、今回の「水平線」に心打たれる層の年代は10代や20代前半が多いようだ。
清水依与吏氏も昨年のインターハイ(高校総体)が中止になったことを受けて制作したと語っている。

努力の成果をぶつける場を失くした戸惑い、からの悲しみや怒り。
立ち尽くしていた少年少女たちをこの曲は少なからず救っている。

その想像の末に優しさを得られたなら、
こんなコロナ禍の中でも、一つ「救われた」と言えるだろう。