G-FER00YNYP3
音楽コラム

「別の人の彼女になったよ」の歌詞が嫌いな人の方が好き

 

好きな人が、自分にとって嫌いなものを「好き」と言っているのは嫌

というのは勝手な話である。

 

は?となったあなたは正常である。
なので、以下で分かりやすいように説明していく。

 

たとえばあなたが桃太郎電鉄を大変嫌っていたとする。
「あんなものクソゲーであり、
あれに熱中している人間も全員クソである」

くらいに思っていたとする。
そんなある日、あなたが大切な恋人の家に上がった時、
これまで見かけなかった桃太郎電鉄のソフトがあるのを見つけてしまった。

「こんなくだらねえゲーム買うんじゃねーよ!!

没収だ没収!!!!」

 

 

 

 

これが勝手すぎる、という話である。
人間、何に興味を持ち、好きになるかは自由であり、恋人だからって価値観まで共有したいというのはおかしな話なのだ。

しかし、共通の趣味が見つかると親近感が湧くように、
自分が嫌いなものを「好き」と言われると気持ち良くはないものである。

私がそんな風に思ってしまう理由となった曲がある。今回取り上げるのはこちら。

wacci/別の人の彼女になったよ

現在(2020年末時点)、youtubeで4000万回以上再生されているロングヒット曲である。

同時に、歌詞の部分で賛否両論巻き起こした曲でもある。
タイトルでもだいたいわかるが、別れた恋人を思って歌う歌詞である。

「あなた」と別れて、今では別の彼氏ができた。
あなたとは全然違うタイプの人だけど、素敵な人です。

というような内容のAメロとBメロを終えてサビへ向かう。以下がその歌詞である。

だからもう会えないや ごめんね
だからもう会えないや ごめんね
あなたも早くなってね
別の人の彼氏に

 

どこらへんが賛否の「否」を呼んだか説明したい。

そもそも失恋ソングというものは女々しいものが多い。
ときに聴いていてこっぱずかしくなるものもある。
だが、それが良いポイントでもある。

「うわあ、、女々しいな」と思いつつも、似たような感情は身に覚えがあるから、
こっぱずかしくなりながらも最後は共感できるのである。

しかしそんな失恋ソングでは、
あるルール違反を犯すと聞き手に嫌悪感をもたらしてしまう。

それは、

相手も自分と同じテンションだと思い込むこと

である。

「私はまだあなたのことを思い出す時があるし、正直引きずっている」と歌ったとして、

あくまで「私は」であり、「あなた」側は今ごろとも思ってない可能性ももちろんあるわけである。

だが、同じテンションである、同じ気持ちであるはずとどこか信じて、
「だからもう会えないや、ごめんね」と謝るスタイル。

復縁したい、など言ってないのに
「もう会えないの、ごめんね」
と言われれば、
さながら轢き逃げでもされたような気持ちである。

これが「女々しい」を超えたルール違反。
というか法律違反であり、私の思う賛否の「否」の正体である。

ようするに相手に自分の感性や価値観を押し付けてはいけない、ということである。

ところでお気づきだろうか、この教訓は桃太郎電鉄のくだりと同じである。

お前は嫌いかなんだか知らないが、好きで買ったソフトを没収されたらたまったもんではない。
お前はまだ好きか知らないが、勝手に「もう会えない、ごめんね」なんてたまったもんではない。

同じである。

 

 

先日、大学時代からの友人と会った時に偶然この曲の話になった。
その友人は女々しいタイプの歌詞があまり好きではないイメージだったので、「おれこの曲あんまり好きじゃない」とポロッとこぼすと激しい同意を得たので、私も水を得た魚のように何が嫌いかべらべらと話してしまった。

 

あの時、私のマスクが内側から受け止めた飛沫の量は過去一番であった。

このとき、やっぱり「嫌い」のパワーは強いなと再認識したのだ。
そして、あくまでこの程度にとどめておくべきと今は思っている。

嫌いの共有が許されるのは、あくまでそれを互いに確認できた身内同士の間だけであり、周りに「あなたも嫌い?」と尋ねるような「取り締まり」行為は低俗である。

そうしたいという気持ちは心の中にそっとしまっておくべきであり、
こんな風に文章として発信してしまうのは大罪である。
万が一お気持ちを悪くされた方がおられたら、ごめんなさい。