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雑記

ドラマの登場人物は、少し咳をしただけで「こいつ死ぬぞ」と思われる

 

ラマの登場人物が絶対に咳をしない理由、
答えはずばり「あっ、このキャラはこれから病気になって死ぬんだ」と思われるからである。

たとえば以下の様なくだりがあったとする。
幸せなカップルの会話を想像してほしい。

カップル(男)「今日のデートも楽しかっ…. ゴホッゴホッ」
カップル(女)「だ、大丈夫?」
カップル(男)「ゴホッ….. ごめん、大丈夫。」

この場合、男は100%大丈夫な結末を迎えない。
100%である。

 

なぜかって、この描写を入れた以上、病気にならないと不自然だからである。
「咳をする=病気になる」というのはあまりに強力なフラグであり、咳をしたならば病気になり、病気にならないならば咳をしてはいけない。

見たことがあるだろうか、ドラマなどの登場人物が咳き込んだ後になんの病気にも見舞われなかった展開を。

あったとすれば、見終わってから確実に「あいつは死なないのかよ」と不謹慎なツッコミを入れたくなるだろう。とんだフラグの立て逃げ行為である。

というわけで、ドラマなどの登場人物は意味もなく咳き込むことはない。

しかし、だ。
現実世界での我々人間は、後に病気にならずとも咳が出ることくらいある。
冬場など部屋が乾燥していれば咳は出るし、そうでなくたってなんとなく咳が出ることはある。

一回や二回の咳で死亡フラグが立つならば我々はとうに全滅している。
逃れられないフラグの運命に従って死ぬほかない。
が、もちろんそんなことはなくちゃんと生きている。

なぜこの違いが存在するかというと、
「ドラマはストーリー進行の妨げ、または無駄となる描写は省かれる」ためである。

何度も言っている様に、後に病気にならないのに咳をするのは、余計な推察を呼ぶため省かれる。逆にこれを省けないのが現実世界である。

 

 

もし、私の人生を神様が観察していたとしよう。
それこそ一つのドラマでも見るかのように、だ。

私は何の意図もない咳をしまくる。
最初の方は神様も「おっ、こいつ死ぬかも」と思うかもしれないが、一向に体調を崩しそうにない。そうこうしているうちにまた咳をするがやっぱり健康。

こんな風に、「咳をする」以外にも多数のフラグの立て逃げを繰り返していると、
「なんだこの観づらい物語は!」と観るのをさっさと中止されるだろう。

ただ、この人生がしょうもないならほとんどの人間の人生はしょうもない。
我々はフラグを立て逃げまくって生きている。それで普通の人生なのだ。

余計な要素を入れられないドラマに比べると、現実世界の人生は非常に自由なものだろう。
当たり前だが、我々のことなど誰も観ちゃいない。

 

 

人生が平凡で、なんのドラマチックさもないと虚しく思う。
そんな経験は一度くらい誰にでもあるだろう。

でも、「ドラマになり得ない」人生の良さもきっとあるはずだ。
「咳が自由にできる」なんてくだらないこと以外にも、きっと。