セルフライナーノーツというものをご存知だろうか。
「ライナーノーツ」というのは楽曲について解説している文章のことだ。CD付属の歌詞カード、最後の方のページに載っていたりする。
そして「セルフ」ライナーノーツは、その解説を作者自身が書いたものである。
完成までどんな経緯があったとか、どんな思いで作ったとか、そんなことがよく書かれている。
突然だが、この「自分の作品を自分で解説する」行為。
時にリスキーな行為と言える。
なぜか?
その作品の考察を終わらせてしまうからである。
音楽に関わらず作品というのは、触れた人間それぞれが自分なりの解釈をするから面白い。
たとえば、
遠く離れていても繋がってる
という歌詞があったとして、
「これは遠距離恋愛のことを歌っている」と捉える人もいれば、
「いや、これは天国に行ってしまった家族のことを歌っている」という人もいるだろう。
はたまた「いや、これは心理的距離のことを言っている可能性も…」という人もいるだろう。
こうやって色んな解釈、感想、考察が生まれ、
「なるほど、そういう捉え方もあるのか!」と知るうちに、それがより深い魅力を作品に感じられ、作者へのリスペクトに転じることもある。
セルフライナーノーツを公に発表するというのは、この楽しい話し合いを終わらせる行為なのである。
それも当然、作者が「この作品は〇〇をイメージしてるんですよ」と言ったらそれが答えになるからであり、それ以外の解釈や考察は不正解になるからである。
成り下がると言ってもいい。難しい考察をしていればしていたほどその興醒めは深刻である。
一枚の絵画を観て、
「この絵画に描かれる月は、人類の届かないもの、つまり憧れを表現していて、それを見上げている男性は何らかの憧れに思いを馳せているのだろう。したがって部屋のテーブルの上に置かれている手紙のようなものは恋文に違いない! なんて秀逸なギミックだ!」
と言っているところに、「いや、これは夜だから月を書いただけです」と答えを出されたらどうだろう。ちょっと面白いけれども可哀想でもあるだろう。野暮とはこういうことである。
ただ、実際にこんなことが起こる心配というのはあまりなく、なぜならセルフライナーノーツはひっそりと公開されるからだ。
先ほども書いたように、それは歌詞カードの最後の方に掲載されていたりすることが多く、つまりファンが自発的に読んだときにだけ目に触れるとなっているのだ。
これが重要で、作者から説明しに行ってはいけない。先程の絵画のくだりも、画の横の解説パネルに書かれているなら問題ないかもしれない。
前置きが長くなったが、そんなセルフライナーノーツを超大々的に発表している楽曲を見つけて衝撃を受けた。
きゃない – 「バニラ」
大阪府出身、路上ライブからその注目度に火をつけたシンガーソングライターである。
さらにTiktokなどSNS上でもその楽曲が話題となり、本動画の再生回数も1300万回に届こうとしている。(2023年1月現在)
問題はそのコメント欄、一番上のコメント。
(以下、引用) ※内容は読まなくても大丈夫です。
〜幸せなラブソングに見せかけて、実は自殺の歌〜
願わくば永遠に愛されるような最強のメロディを作りたい。「バニラ」はそんな単純な気持ちから書いた曲です。 良い音楽は歌詞が無くても愛されると、僕は思っていて、メロディーだけを聴いてもらっても感動してもらえるように意識して書いた曲なので、歌詞はあえてとてもシンプルなラブソングにしています。
ですが、この曲には「死んでしまって会えなくなった恋人に会いに行く」という裏設定がある。つまり主人公の自殺を歌っているストーリーが2番のDメロの歌詞に隠されています。 恋人が死んでいなくてもよかったんですが、死んでしまっている事にした方が最も愛情が浮かび上がる気がしたんです。幸せな歌でもありつつ、不幸な要素も取り入れる事で自分のメンタルが「幸せ」と「不幸」どちらに位置してる時にも聴ける曲にしました。
そして「バニラ」というタイトルは制作当時、この曲のモデルとなった女の子とお付き合いしてた時に、 僕がつけてた香水が「バニラ」の香りだったのでそのまま曲名にしました。 偶然にも、バニラの花言葉が「永久不滅」に対して、花自体は開花1日で枯れてしまう「短命」なものなので、「永久不滅の愛を持って命が終わる」という、この楽曲のテーマが上手くタイトルでも表現できました。
僕の楽曲の中で、おそらく一番のメロディーメイクが出来た曲だと思います。
きゃない – バニラ【OFFICIAL MUSIC VIDEO】コメントより
私はこれを最初に見たとき、さぞ熱狂的なファンの方の考察かと思った。
しかしそのコメントの上に
きゃない【OFFICIAL CHANNEL】 さんによって固定されています
とある。
えっ 本人!?
しかも固定!?
こんな時代が来てしまったのか。
自分で解説するにしては解説が長くて詳しすぎる。
youtubeコメント欄なんて、まだ曲を聞き終わってない人が先に読む可能性も高いのに。
この手法は私にとって衝撃的であった。だって考察が始まる前に終わらせている。
しかも死別の歌にしようとしている。
私はこの「死別の可能性をちらつかせ、ラブソングに深みを持たせる」方法は大好物である。
それだけで一つの記事を書いたほどである。↓
【禁断】5分で伝授! 不謹慎だが最高の失恋ソングを書く方法
私はこの曲がなんだか懐かしくて好きだったので結構聴いていたが、これを見つけて少しだけ気持ちが離れてしまった。しかし、これはセルフライナーノーツではなくガイド的なものとして捉えればよいのか?とも少し考えた。
昨今、あらゆる曲のイントロが短くなってきているように、作り手が聞き手に合わせて(歩み寄って)いく姿勢が見られる時がある。
イントロに関しては、歌い出しまで待てない視聴者のためだが、この場合は、曲の正しい解釈に辿り着くまでの道のりを最短で案内していると考えたらいいのだろうか。
ポジティブに捉えるならそんな感じだが、私はこのコメントであれを思い出した。
以前テレビで見た、食べ方をいちいち指示してくる高級天ぷら店の店主のジイさんである。