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音楽コラム

夫婦デュオが歌う始まりの予感(ラッキーオールドサン「ミッドナイト・バス」)

 

生まれ育った街をはなれ
君もいつかは大人になってしまうだろう
魔法が使えなくなる(ラッキーオールドサン「ミッドナイト・バス」)より

独りである寂しさと、これからへの期待。
それをじわりと感じさせる一曲である。

 

ラッキーオールドサン「ミッドナイト・バス」

ラッキーオールドサンは、2014年結成、ナナ(Vo.Key)と篠原良彰(Vo,Gt)による男女デュオである。
本曲のMVで最初に出てくる二人がメンバーにあたる。(MV後半では4人並んで歩くシーンがあるが両端2人はサポート。)

 

2019年に二人は結婚し、ラッキーオールドサンは夫婦のデュオとなった。
おなじ形態ではハンバードハンバードがいる。

どちらも静かなカフェなどでよくBGMにされているイメージなのだが(実際よく聞く)、
ハンバードハンバードはより日常に寄り添うタイプというか、いつなんどき、どこでBGMとして流してもシーンにぶつからない。

今回紹介する「ミッドナイト・バス」は2015年リリースの1stアルバムのリードトラックであるが、少しセンチメンタルながらいつ聴いても落ち着きを得られる。
その魅力として、一つはその絶妙なメロディライン。

絶妙、という言葉が実にぴったりである。
というのもラッキーオールドサンのメロディは全体的に、一歩間違えれば実に単調なものとなってしまう。

本曲のサビを聞けばわかりやすいだろう。「サビ=盛り上がる部分」という常識が根付くJ-popでは、メロディーのキーも高くなるのが一般的である。
本曲も一応高くはなるのだが、「これで盛り上がるか」と言われたら難しいところである。

うまれ育った街をはなれ
君もいつかは大人になっしまうだろう
まほが使えなくなる

上がサビの歌詞だが、前音より大きくキーが高くなる部分を赤字にしてみた。
(レミオロメン-粉雪なら 「こゆき」である)

実際に曲を聴いた方ならわかるが、高くなるというほど高くはない。
しかも、そこまでの部分は「レ/ミ/ファ♯」の三音のみを繰り返すだけである。

つまりあまりに素朴なメロディ。
実際に本曲は名作だからこそ言えるのだが、一歩間違えればナチュラルな雰囲気だけの非常に退屈な曲である。

では本曲において何がそうさせなかったというと、
「明確な盛り上がりを迎えきれない」のが本曲のテーマとマッチしている点である。

神さま待ってもうちょっとだけ
空もいつかは飛べなくなってしまうだろう
天国のドアをたたく

心配ないさそばにいるから
最短距離でぜんぶぜんぶ白むまでゆけ
闇を縫うミッドナイトバス(ラッキーオールドサン「ミッドナイト・バス」)より

深夜のバスという、誰もが強制的に独りになる空間。
歌詞にある様なモラトリアムと、それを脱しようとするような微かな決意の意。

歌詞全体を見ればこれらは「送り出す」側の心情のようで、MVで歩くのは旅立ちを見送った後の帰り道のようにも思える。少なくともここに「旅立つ側」と「見送る側」二つの物語があり、いずれもまだ「これから」の物語なのだろう。

繰り返す日々に、タイムリミットのように訪れる変化というのは時に恐ろしい。
しかしこれがないとそれこそ人生は非常に退屈なものである。

その帰路に立たされた人間の温度感を描くには、
この曲のサウンドや構成は最適だったのではないだろうか。

結論、この曲は絶妙な危うさのバランスの上で成り立った名曲である。
これがどこまで意図されたものなのかは不明だが、
計画犯である可能性は感じさせず、「センスから来る偶然では?」と思わせるところがラッキーオールドサンの魅力でもある気がする。

やはり、魅力というのは解明されない方が美しいのである。