突然だが、
「長年付き合った恋人に突然別れを告げられた」
という経験をもとに歌詞を書くとする。
私が思うに、その場合二種類の歌詞が書ける。
一つ目は、
「別れを告げられた」その実際の場面を描写する歌詞である。
喫茶店で二人コーヒーを飲んでいたら、口数の少なかった「あなた」に突然『もう終わりにしましょう』と言われ、
衝撃のあまり「僕」はカップを落としてしまい、割れたカップの破片とコーヒーが床に広がり……..うんたらかんたら
というやつである。
大雑把に言えば、起きた出来事や情景などを淡々と連ねるだけである。
二つ目は、
「別れを告げられた」ことを思い出とし、振り返る歌詞である。
喫茶店で誰かとコーヒーを飲んでいると、あの日の「あなた」とのことを思い出す。
あなたは優しい人で、僕はその優しさに甘えていて……..うんたらかんたら…..それでも好きで…..
うんたらかんたら
というやつである。
その出来事を思い出の主軸として、それに対し思うところ述べるような歌詞である。
この二種類の歌詞だが当然様々な違いがあり、
それについては改めてべらべらと喋らせてほしいのだが、
今回は「歌詞に込められる熱量」というものについて。
一つ目の歌詞は「フラッシュバック的熱量」なるものが強い。
起きた出来事をそのまま閉じ込めたような歌詞であるため、
描写が具体的かつリアルで生々しく、
過去に似たような体験のある視聴者はハッとしたのちその世界へ引き込まれる。
その体験がないものでも、追体験するための具体的な材料が多いため、その世界を深く感じ取り易い。
一方、二つ目の歌詞は過去を体験として振り返って書くものであるため、
ある意味「振り返る余裕がある」中で書かれた歌詞ととれる。
振り返った上での大きな後悔だの悲しみだのが描かれることは多いが、
瞬間的な熱量や、ゾッとするようなリアリティを描写するには一つ目に敵わない。
つまり、一つ目の方は視聴者が勝手に感じ取り、勝手に心揺さぶられるのに対し、
二つ目は、作り手がある程度その手伝いをしているようなニュアンスがある。
視聴者目線で言い換えるなら、
一つ目=自ら触れる熱量
二つ目=渡される熱量
という違いである。
触れさせる熱量の方がその数値は大きく、渡される熱量とはジャンルも少々違うのだが、
後半では「自ら触れる」と「渡される」、その両方の性質を持つ類稀なる曲を紹介したい。
後半へつづく。
→《歌詞考察》リーガルリリー『トランジスタラジオ』J-rock史に残る熱量 (後編)