音楽でも絵画でも映像でもなんでも良いのだが、
芸術に触れると、感想というものが伴う。
エネルギーを感じただの、
心が安らいだの、
懐かしい気持ちになっただの、
心のざわめきを感じた…など。
では、なぜそんな気持ちになったか?と尋ねられると大概困るものである。
「なぜって…なんとなく」
としか大抵は答えられない。
しかし、本当に答えが不明かというとそうでもなく、
時間をかけたり、知識を身につけてから考えるとその理由を突き止められたりする。
「立派なお城が描かれたあの絵画、
なんだか懐かしい気持ちになるんだけどなんでだろう..」
のその理由を本気で解明に向け考えたところ、
「懐かしい」ということは昔の記憶や地元にヒントがある…?
と推理し、
結果、ふるさとから少し離れた街にあったラブホテルに似ていたからだ、と辿り着けたりする。
そして少年時代、「あのお城はなに?」と両親に聞いて妙な空気になった記憶などをしみじみと思い出すのである。
と、このように、なぜそのような感想を抱いたかの理由は突き止められることがある。
この例は「よくよく考えて辿り着く」ケースだが、「知識を得て辿り着く」パターンもある。
これは私の実体験であるが、
作曲を始め、コード進行なるものを勉強してから、曲の楽しみ方というものが変わった。
私が「この曲のここがなんだか切ないんだよな」とか、「この部分でなぜかブワーッと世界が広がる感じがする」
と思っていたその理由が、すべてコード進行によるものであったのだ。
これは私にとって革命的な出来事であった。
「なんだか切ないんだよな、、、うまく言えないけど。」
と、さも通ぶった口調で、素人にはわからんといった態度の私だったが、
その切なさは、コード進行に組み立て方によるものであり、
つまり「ここのコードを〇〇、次が〇〇で最後は〇〇に戻ってくるから」と具体的に説明できてしまうのだった。
それを知った私は、早速その方程式を自分の曲に取り入れてみた。
すると恐ろしいことに、全く同じようにその切なさを自分の曲でも再現できたのだ。
私は何か大きな物事の仕組みにたどり着いたような達成感を覚えた。
そして同時に、少し残念でもあった。
この曲を聴くと「楽しい」、とか
「悲しい」ではダメなのだ。
「なんだか楽しい」、「なんだか悲しい」
から良かったのである。
我々が感動したり憧れたりする作品の仕組みというものは解明できない方がいい。
なぜならそれがロマンだからである。
そう遠くない未来、AIが発達し「切ない曲」なるものを作るための方程式を用いて、
作品を量産できる時代がくるかもしれない。
それでは少し寂しいから、未知の部分は未知のまま残していてほしいという願いが、
クリエイターの端くれとして私には残っているのである。
タイトルにある
さよならポニーテール「思い出がカナしくなる前に」は、
リリースされた2011年に初めて聞いた。
そのセンチメンタルさに強く揺さぶられた。衝撃だった。
ボーカルの声もよい。
染み渡るような優しいオルガンの音も良い。
歌詞もストレートながら、素朴なメロディとマッチしていて良い。
でも、それでは説明できないくらい、いい曲だったのだ。
私が鼻息荒くして勉強したコード進行の部分にも、秘密は見つからなかった。
その出会いから2021年現在までこの曲を聴き続けているが、
その理由は未だわかっていない。
それが嬉しくて仕方ない。
その理由に気づかないように、薄目で、少し離れた距離で、
この名曲を今でも楽しんでいるのである。