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音楽コラム

恐ろしくない「死」の歌 -星野源「ストーブ」

 

正月が来たから酒を飲み、
盆が来たから実家へ帰る。
「死んだから骨を焼く」というのもこれらと同じくらい当然のことである。

今回紹介する星野源の楽曲「ストーブ」は、
2011年にリリースされたアルバム「エピソード」の収録曲である。

アルバム名の通り、収録曲には濃厚なストーリー性を持つものが多い。
その描写が、ハッとさせられるほど具体的で鮮明なリアルを含んでいたりする。

そろそろストーブをつける頃
小窓のあなたも 煙になる
泣くだけ 従姉妹は手伝わぬ
別れの言葉は喉の中
                                       (星野源/ストーブ)

「ストーブ」は火葬場での心情を歌った曲である。
大人になれば大概の人が経験済みのシュチュエーションだが、
「火葬場あるある」など聞いたことがないように、
エピソードを共有しあうような場面ではないのは確かである。

理由は単純で、「死」に関わる場だから。
死に関わる場面と「笑い」や「ネタ」、
これらを一緒に描くのは大変難しい。

先ほど書いたような「火葬場あるある」など、
もしR-1グランプリでフリップ芸として披露するなら、
その難易度は雲の上ほど高いものである。
タブーというほどではなくても、わざわざ踏み込むジャンルではない、かもしれない。

長く続く日々の 景色が変わるよ
見えぬ明日 足がすくみ うつむけば
見覚えのある気配が 手を引くよ

(星野源/ストーブ)

サビにあたる部分の歌詞だが、なんだか不思議な印象だ。
恐ろしくもとれるし、温かみがあるようにもとれる。
一見、死後の世界からの誘いとも受け取れるので少しゾワっとする。
「長く続く日々の景色が変わる」=大きな出来事(突然の訃報だったかもしれない)に動揺する気持ちも理解できる。

生きていけば、人生の中に区切り目のようなものができるのは珍しいことではない。
それが「就職した」であったり「30歳になった」くらいわかりやすい場合もあるし、
「誰かに意味のある言葉をもらった日」や、「大切な人を初めてみた日」くらいぼんやりしたものかもしれない。

解けかけた魔法が一番辛い(MOROHA-バラ色の日々)心の声メロディ化計画 6曲目
(↑人生に訪れる区切りうんぬんについてはこちらでもうちょっと熱を持って書いているのでぜひ)

そして、それらのどれよりも、「隣人の死」は皆に訪れるものだ。
そしてそれに心揺さぶられ、うつむくところまでもセットで当然のこと。

当然の事ならば、必ずしもバッドイベンドとは言い切れない。
人が生きて年を取るのが、良いこととも悪いこととも言い切れないように。
あくまで「景色が変わる」とだけ書くならば、それは好転でも暗転ない、
つまりこれ以上ない「当たり前」を淡々と告げているだけなのである。

あとひと月半は デートもしまくり
胸に残る声が 浮かび うつむけば
変な顔の面影 笑わすよ
(星野源/ストーブ)

終盤でこの歌は優しさを帯びていく。
真っ先に気になる「あとひと月半はデートもしまくり」であるが、
この「ひと月半」=四十九日のことであろう。

魂がこちらに残っている間は、まだデートだってできてしまう。
ここで先ほどの「見覚えのある気配が手を引くよ」を思い出すと、優しくて救いのあるフレーズに思えてくる。

そして、「変な顔の面影 笑わすよ」で心を掴まれる。
これこそ「あるある」に近いニュアンス。
悲しい気持ちの中にふっと紛れ込んでくる、間の抜けた思い出。

喪服だってぴしっと来て、悲しみを抑えて立っているところに、
膝カックンするような思い出である。
思い出というにはまだ早すぎるのかもしれないが。

この「死」への描き方の温度感として、
近いものとして私はさくらももこ氏のそれを思い出した。

ちびまる子ちゃんでいう「友蔵」にあたるお祖父さんが亡くなった時も、
自宅で息を引き取っていたその姿、あまりにぱっくりと口を開けて亡くなっていたので、
悲しみの中家族で少し笑ってしまったというエピソードがあった。

死を「扱った」作品というと大層すぎるので、笑いをそこに含んだりすると気持ちよくない人もいるだろう。
しかし、それ以前として「隣人の死」は当然に訪れる、誰しもが語れるはずの「エピソード」であることを教えてくれる歌であった。

 

 

星野源については他にも記事を書いてるので下リンクよりぜひ。