今日しかないと言ってくれ
(蜜「アセロラ」より)
いつだったかテレビでこんな言葉を聞いた。
「自己啓発本に書いてある内容は二つに集約できる。
『人の目を気にするな』『思い立ったらすぐ動け』のふたつである」
なるほど、と思った。
この二つを守れる人間は、
自己啓発本に手を伸ばすことのない人生を送るのだろう。
逆に言えば、これが出来なくて皆苦しんでいる。
これの所為で何度も何度も同じ後悔を重ねたりするのだ。
私も例に漏れず、この両方ができず今でも苦しんでいる。
人の目など特に気にしまくってしまう。これは幼い頃から変わらなかった。
「自分の中にある、あらゆる感情の中で何が一番強いか?」と尋ねられたなら、
一番は羞恥心であると答えるだろう。
そして同じくらいやっかいなのが怠惰な気持ちである。
「明日やろう」「明日から頑張ろう」が延々に積み重なって今日に辿り着いている。
辿り着くというと少し格好つけているが、
絵面でいうとこんなものなので格好いいわけがない。
こんな性格を抱えながら生きて行くと、やはりなんども「これではだめだ」というタイミングが訪れる。
その時は確かに猛省し、「真人間になってやる」と思うのだが、風呂に入って寝れば翌朝には元どおりの自分になっている。
惰性、というものを舐めてはいけないのだ。
「よし、変えてみよう」と思っただけで改善できるようなものではきっとなく、
それは我々が想像しているより遥かに強大な敵なのである。
人間は死亡した直後、「数分間だけなら惰性で脳が活動する」という脳神経学のデータがあるくらいなので、適当な決意で太刀打ちできるわけがない。
そんな我々は、何度もなんども後悔を重ねるうちにある仮定を信じるようになる。
「きっといつか、劇的な何かきっかけによって、こんな情けない自分はかわるのだ」と。
いつまでもこんな自分が続く筈がない、と根拠もなく信じている。
雨が降ってもいつかは止む、と同じような感覚。
でも雨が止む時にはものすごく美しい虹が出て鳥は歌い爽快な風が吹くと信じている。
そんな我々が、いつか来る日を今日と見間違えた日に思うことがある。
今日しかないと言ってくれ
(蜜「アセロラ」より)
自分が劇的に生まれ変わる日は今日じゃないと困る。
それは例えば、
大好きなあの娘に気持ちを伝えれぬまま迎えた卒業式の日かもしれないし、
夜遅く家に帰ったら母親がひどく泣いていた日かもしれない。
劇的かはわからないが、
これが自分にとって変わるためのチャンスであるというのはなんとなく感じ取れる。
しかしこのチャンスというものを、自分はものにできるのか?
また訪れるかもしれないと見過ごしてしまうのか。
見なかったことにして日常に戻るのか。
そんな、自分の弱い部分と真正面で対峙して、少し負けそうになった時、
唱える言葉である。
待ち望む君の為に
何かを言えば棒読みなんだ
今日しかないと言ってくれ
それだけで嘘をつかずに済むよ きっと
(蜜「アセロラ」より)