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心の声メロディ化計画

あの娘が淫乱だなんて嘘さ(銀杏BOYZ-援助交際)心の声メロディ化計画 10曲目

 

だけど悲しい噂を聞いた
あの娘が淫乱だなんて嘘さ
     (銀杏BOYZ-援助交際 より)

 

心の声メロディ化計画とは (1曲目 お別れの歌-never young beach)※上の記事を読まなくても本記事は楽しめます。参考まで。

 

 

片想いの相手というのは情報が少ないものである。

同じクラスの愛しのあの娘。
世界中の誰よりも想っている自信があるのに、よく考えたらの彼女のことを何も知らない。

毎日どんなことを思って暮らすのか?
心許した人にはどんな話をするのか?
どんな冗談で笑って、
どんなことで怒ったりするのだろうか。

何も知らない。離れて見ているだけでは、全ては噂か憶測に過ぎない。

だから人は想像するのである

妄想と言ってもいい。
あの娘と色んなところへ行って楽しい時間を過ごして、
そしてあの娘が僕に笑って、時には甘えてきたり機嫌が悪くなったり。

そうやって考えるのはきっと楽しい時間であるだろう。
しかし、そんな妄想にはエラーというものが訪れる。

オナニーでしか君に会えない(忘れらんねえよ-ばかばっか)心の声メロディ化計画 7曲目

上の過去記事でも書いたが、
あの娘への情報が少なすぎる故に、妄想の中であの娘をうまく動かせなくなるのだ。
自分の頭の中の「あの娘」は90%くらいが自分の妄想する人格であり、彼女自身ではない。

それでもなんとか妄想の脚本を書き続けるが、
いつしかこんな風に思ってしまう。

「自分の妄想する人格で彼女を動かす。
なんなら、彼女にうまく受け答えする自分も、
二人をとりまく全ての人も全部、自分の妄想する人格で動かす。

これはもう、ママゴトかお人形ごっこと同じではないのか?」 と。

 

そんなショッキングな事実に気づいたとき、
人は二通りの思考にチェンジする。

一つ目は、
妄想をやめようという思考。
「こんなこともうやめて、あの娘にアプローチしよう! 妄想を現実にしよう!」という積極型と、
「こんなこともうやめよう。虚しいだけだ」と半ば諦める消極型とあると思うが、
なんにせよ妄想をやめようとするのが一つ目。

二つ目は、
妄想の世界を守ろうとする思考。
自分が作り上げた理想像の「あの娘」や、それをとりまく妄想世界を信じ抜くパターンである。

何やら危険な思想のように思えるが、意外と身近なものである。
よく、仲の良い片想いの相手に告白できない理由として
「今の関係が崩れてしまうのが怖い」というのがあるが、その手前の手前くらいの段階と思えばいい。

もう、これ以上の発展や新しい情報が介入すれば、
自分が作り上げた世界にエラーが起こってしまうかもしれない。

そんなもの耐えられないから、
悶々とし続ける現状をどこか肯定し、むしろこれでいいとすら思ってしまう。

だけど悲しい噂を聞いた
あの娘が淫乱だなんて嘘さ
僕の愛がどうか届きますように
あぁ 世界が滅びてしまう
   (銀杏BOYZ-援助交際 より)

 

 

「僕の愛がどうか届きますように」。
これほどまっすぐであるのに、相手の元へ届かない叫びがあるだろうか。

「別の人の彼女になったよ」の歌詞が嫌いな人の方が好き

↑こちらの過去記事で書いたことが、

「恋愛ソングにて、聞き手に嫌悪感をもたらすタブー。
それは『相手も自分と同じテンションだと思い込むこと』」。

それが失恋ソングなら、「別れた後も自分はこんなに寂しくて悲しい。だからあなたも同じはず」と思うこと。
片想いでも一緒だ。「こんなに愛しててこんなに優しくしているのだから、きっと届いているはず、あなたも同じ気持ちのはず」と。

しかしこの「援助交際」では、上記のようなマインドにすら至っていない。
どこか、「あの娘はこちらになど振り向くはずがない」と高嶺の花であることを認め、諦めている。

きっとその理由として、妄想の純度が高すぎて、あの娘の像が固まりすぎたのだろう。
あの娘が妄想人格であることも、どこか気づき認めながら辞められなかった。
いつしか、ただの妄想が「夢」や「幻」の位まで化けてしまったのである。

 

あの娘が淫乱だなんて嘘さ、と強く強く歌う。
あの娘によって、自分の中の「あの娘」が壊されてしまう。

なんだそりゃあ、ともう何も分からなくなった時、
僕らは銀杏BOYZの轟音を聴きたくなるのかもしれない。