芸人が歌った曲というと、音楽シーンに長くは定着しづらいイメージがある。
浜田雅功「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」のように、
楽曲プロデュースに強力な味方(小室哲哉)がついているような場合は例外も生まれてくるが、
仮に芸人自身がプロデュースして名曲が生まれるなんて、そんなことあるはずか…
あった。
クマムシ – シャンプー
クマムシというと、あの「あったかいんだからぁ〜」のフレーズでお茶の間を賑わせたお笑いコンビである。
ワタナベエンターテイメント所属、佐藤大樹と長谷川俊輔による二人組。
リリースされた楽曲は長谷川俊輔によるセルフプロデュースであり、
いわゆる「あったかいんだからぁ〜」の曲である「特別なスープ」は第57回日本レコード大賞特別賞、日本有線話題賞を受賞している(公式HPより)。
https://www.watanabepro.co.jp/mypage/4000030/
そんな経歴を持つクマムシの楽曲、何が素晴らしいか。
今回紹介する「シャンプー」なる曲、動画の概要欄にもあるように「クマムシ、夏の湘南3部作」の一つとしてリリースされたのだが、
初めて聞いた時私は感じた。
いや、クリスマスじゃないか
と。
楽曲から溢れ出るこのクリスマス感を無視して夏の曲と言い切るなど力技が過ぎる。
まず、サビ冒頭からバックで聴こえるベルの音。
サウンド面で季節感を出すためには、楽器に頼るのが手軽で確実である。
夏の曲ならばウクレレだのボンゴだのそれらしい楽器を入れてしまえば一発で「ああ、夏だな」とわかるものである。
その冬版にあたる楽器がベルである。
いわずもがな、ベルといえばクリスマス。
サンタクロースが現れる時、入場曲と言わんばかりにシャンシャンシャン…というベルの音が少しずつ大きく聴こえてくるものだ。
そのベルの音をサマーソングに使う…? 不可解である。
しかし私はこれ名曲であると信じて疑わない。
その証拠として私は2015年よりtwitterでその魅力を説き続けている。
夏の曲なのに音的にはクリスマスっぽくも聴こえて不思議。
めっちゃ好き。クマムシ – シャンプー https://t.co/2lQidHUiOD
— 岡元 望 (@okagen_key) September 4, 2015
クマムシが消えても、この曲の素晴らしさだけは唱えたい。
夏っぽさに少しのクリスマス感がまざっててそれがなんとも…(ー ー;)https://t.co/2lQidHUiOD— 岡元 望 (@okagen_key) July 19, 2016
特に誰の共感も得ないながら唱え続けるなんて、我ながら健気な愛である。
その理由の一つとして、クリスマス感のある楽曲が好きだ、というものがある。
だってそのワクワク感が段違いだから。
一時期、私は自分で「明るい曲」なるものを書こうとすると、
自動的に全て「クリスマスっぽい曲」になってしまうという病に罹っていた。
まあ「これでよし」とした曲が結果的にそうなっていただけなので別に不満等はなかったのだが、
興味本位までに何を持って「クリスマス感」と言えるかの根拠と共通点を探したところ、
「一段ずつ」上がり下がりするメロディなるものがその答えだと発見した。
一般的に言う「美メロ」なるものは音の豊かな移ろい、予想のつかない音の離れ方を指すことが多く、
逆に「ドからレ」、「ソからファ」のように近い音に移ってばかりではやや単調なイメージとなる。その理屈が最も分かりやすいのがお経である。
あれはほとんどずっと同じ音だから退屈に聞こえるのである。
しかし、この退屈に思えそうな法則、
曲の中にピンポイント的に入れ込むと、ワクワクを呼ぶようなクリスマス感を演出してくれる。
例を出すと、この法則が顕著なのが
nicoten – クーベルチュールのとける頃
こういったイントロである。
あまりにわかりやすく、ベルの音で半音ずつ下がったメロディのイントロである。
この曲でクリスマスを連想するワードは出てくることはなく、おそらくバレンタインをイメージした曲と思われるが、
この条件をばっちり満たしたサウンドは無視できない。
また、この上がり下がりの法則は歌メロディでも同じである。
スキマスイッチ – Andersen
サビの2ブロック目(1:20~)、
くもっていくウィンドウ
こおっていく心臓
こうかいしても遅い
の大文字の部分のキーが、進むごとに上がっているのがお分かりだろう。
こういったように、隣り合った一音ずつではなく、
フレーズごとにあがっていくパターンもある。
これを踏まえて「シャンプー」を聴いてほしい。
(1:31~)
ポンプにOne Two
スタンプアタック
アヒルが浮いてる
バスタブわくわく
Yeah!
文字にしてみるとなんとも偏差値を失った歌詞である。
が、そんなことは今どうでもよく、
先ほどと同じように、赤文字の一音からキーが徐々に上がっているのがお分かりだろうか。
この条件を満たしながらベルまで鳴らしたらそれはもうクリスマスで間違いない。
だが実際は夏の曲というこの矛盾、果たして意図的なものなのだろうか。
作詞作曲を施したのはクマムシの長谷川俊輔氏だが、編曲(アレンジ)は他者であるのでベルの音はその方の発案である可能性が高い。
熟練のアレンジャーであろう方があえてそうした理由はなんなのか?
仮に深い意味はなかったならば、
クリスマスメロディーを愛する私には罪な冗談であった。
おかげで2021年現在もたまにこの曲を再生しては色んな思いにふけってしまう。
そしていつしか、クマムシもお茶の間から消えてしまった。
その名前をグーグルで検索しても、
あの虫のような姿の「クマムシ」が真っ先に出てきてしまう。
昔見た大人気番組「トリビアの泉」の放送内容で知ったことだが、
クマムシという生物は「死なない」生物として有名らしい。
というのも、絶対零度の低温から100℃の高温に晒されても、真空状態から75,000気圧までの圧力に晒されたとしても死なないから、らしい。
にわかに信じがたいようなその生命力。
それにあやかることはなく、あの「クマムシ」は消えてしまった。
しかし本曲だけは私の記憶の中にパラサイトして生き続けている。
(パラサイトする楽曲の特徴についてはリンク先記事)
夏の曲なのにクリスマス風、という謎のギミックが、「人々の記憶の中で生き続けるため」
なんて理由だったらロマンがあるな、と妄想にふける2021年である。