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音楽コラム

エモだのチルだのを破壊する曲 いかれたNeet-神聖かまってちゃん

私は「エモい」だの「チル」だのと連呼する人が苦手である。
意味を知らない人にはGoogleでも検索してほしいのだが、
言葉が広まるにつれその定義はどんどん広く、曖昧になっている。

私も、適当に辿り着いたサイトで「エモい」の意味を見ていると、その答えとして
「感傷的」「郷愁的」「ノスタルジック」「やばい」「懐かしい」「しみじみ」「物悲しい」「寂しい」「哀愁がある」「情緒がある」「感動的」とあった。

は?

要するに誰も言葉の本当の意味をはっきりとは知らないのである。
そのくせして「エモだわ」「チルだわ」と言いながらコーヒーを飲み、
鏡を眺めたりしているのだからお笑いである。

どうか、彼らの持つ写ルンですが事故により水没し、
インスタのアカウントが間違いで停止されてほしい。

なんで冒頭からこんな性格の悪いことを述べているかというと、
最近「チル」したいと思うタイミングが多かったからである。

以下が本題なのだが、

 

気持ちが落ち込みすぎて音楽を聴けない、というときがある。

気持ちが落ち込んでいるときは、楽器の音ひとつひとつがやかましく聞こえ、
ドラムが「ダムッ ダムッ」と響けば、
その二回分「ワン、ツー」とボディーブローを食らっているような感覚になる。

ただ私は移動するとき、必ずなんらかの音楽を聴く習慣が付いてしまっているので、
全くの無音だと若干そわそわする。
そんなときに聞けるのはやさし〜いピアノ曲か、
あったか〜い弾き語り曲くらいである。

要するに受け入れられる音量、音数が非常に少なくなっているのである。

それらを水に変換するなら、
普段はバケツいっぱい入るところが、
今日はコップ一杯しか入らないといったイメージである。

 

 

そんな状態にあるときに聴く音楽の内、
例外としてまれにこんなものがある。

今回紹介する曲、
神聖かまってちゃん「いかれたNeet」である。

神聖かまってちゃんの曲については別記事でも色々と紹介している↓が、
・夕方には僕も終わりだ(神聖かまってちゃん-仲間を探したい) 心の声メロディ化計画 二曲目
・ブレイクしたいなら、曲は最初の何秒で勝負? イントロ開始3秒で心を掴む曲4選

この「いかれたNeet」が一番やかましい。
音数が特別多いわけではないが、
なんせボーカルがこれでもかというぐらい叫び(がなり)続けるので、
不快指数のようなものは高い。
その叫ぶフレーズこそが「いかれたNeet」であり、曲中で10回以上繰り返すのである。

ではなぜそんな曲を辛い時に聴けるかというと、
この曲、やかましいように見えて曲の持つ質量は非常に少ないからである。

その理由についてだが、大きく分けて二つ、
・バンド感が無いこと
・歌詞の情報量が少ないこと
である。

まず「バンド感の無さ」についてだが、
イントロだけでも分かる通り、不規則で不安定、
なんだかぐにゃぐにゃした演奏が続く曲である。

打ち込みサウンドっぽく、「生バンドらしさがない」というのが大きなポイントであり、
バンドみんなで演奏している、という「多人数」という情報が排除されているので、
少ない受入の容量を圧迫しないのである。

そして歌詞の情報量が少ないというのもポイントである。
先に書いた通りこの曲の歌詞はほぼ「いかれたNeet」と繰り返すだけのもので、
ほぼほぼ意味というものがない。
意味を持たない、という部分では「空は晴れ、鳥は歌い」というような歌詞と同じである。
一見した印象は真逆のようにもとれるが、同じだ。
(「意味を持たない」歌詞のメリットについては別記事でぜひ。→星野源の歌詞が覚えにくいのは踊るためである)

 

以上の理由によって、この曲は辛いときにも優しく聴ける仕組みになっているのである。
まあそれには、神聖かまってちゃん及びこの曲が「好き」であるという大前提が必要なのだが、身も蓋もないのであまり触れない。

みなさんも、好きなバンドの出している
「バンド感がなくて歌詞の情報量が少ない」曲を聴いてください。

最後に、冒頭のエモだのチルだのの話に戻るが、
これらの言葉を口にしている人が嫌い、というのは、
ハイセンスで充実している人たちに対しての私の僻みであるとして、

言葉そのもの自体が苦手というのには一応理由がある。
先に書いた通り、これらの言葉は定義が曖昧であり、
「なんだか〇〇な気持ち」「なんだか〇〇と感じる」というニュアンス全てを当てはめてしまっているように思える。

これは間違いではなく、「感情に対しての理由が解明できない」、というのは情緒なるものの真髄であると思う。(これに関しても別記事で詳しく書きました。↓
なぜ切ないかは解明できない方が良い-さよならポニーテール「思い出がカナしくなる前に」)


その理由を解明したいけれど、作品に答えを求めるようで野暮だと感じてしまったり、
時間が経つにつれ徐々に理解できたりなど、
そのあたりの感覚は大切に、繊細に扱うべきと個人的に思っている。

なので、さも便利で万能な言葉のように連呼すると、作品の秘めたるものが薄れていくように思えるのである。

これが私の思う、エモだのチルだのと連呼したくない理由であるが、
今回紹介した作品のように、
もっと理屈抜きなところで「この曲最高!」と言えるようなものもたくさんある。

そういった曲が、
感想の解明に悩まされる難解な曲の魅力を時に、はるかに上回ったりもするので、
そのときはそのときで爽快な気持ちである。