plentyは、私が知る中で最も硬派なバンドであった。
2004年結成、2017年解散。
メンバーチェンジも経て活動した13年間、
その楽曲スタイルというものが一度もブレることはなかったためだ。
作詞作曲、ギターボーカルを務めた江沼郁弥。
細めでハイトーンながら伸びのある彼の歌声で歌われる、
鋭利な言葉の数々。それが時に心を刺したり、優しく包んだり。
と、音楽雑誌などでよくあるような長々とした説明をしてしまったが、
一言で言うと、最初は「真面目なバンド」といった印象だった。
タイアップするには詩がやや内省的すぎる印象で、
結果、大きなその機会は最後まで得られなかった。
それを分かってはいたはずだったが、
いわゆるセルアウト(大衆向けへの方向転換)をしそうな雰囲気もひとつもなかった。
彼らは最初に確立したplentyの像を、最後までただ完遂したような印象だった。
だから、彼らが真面目、ではなく硬派だと気づいたのは解散して少し時間が経ってからのことであった。
子供の頃あった正義感はオモチャ箱の中
焦燥感は僕の中
あの頃はよかった そんなもんはアルバムの中
後ろ向き人生 回れ右
(plenty-人間そっくり より)
(「人間そっくり」は 22:15~より。めちゃめちゃかっこいいので見てね)
彼の書く詩のテーマとして「自問自答」なるものがある。
自分の中で生まれた問題や問いかけに対して、熱が出るまで悩むような具合。
こうやって詩にすると比較的共感性はある内容なのに、
それに気づかず、誰にも相談せず、
いきなり歌にして発表してしまう。そんなイメージの詩世界である。
君が髪を切った 綺麗だった
すごく似合ってた
問題は君を好きかどうか
(plenty-人間そっくり より)
鋭利である。
しかしこれは刺されたというより、
身に覚えのある部分をグッと握られたパターンの痛みである。
繰り返しであるが、彼の詩は比較的共感性の高いものが多い。
しかし、「こんな気持ち、わかるでしょう?」と尋ねるにしては、
味付けも盛り付けもされていない。
美しく詩的な言葉にこそ変換されているが、
一度目の視聴でバチっと心に入ってくるような、
そんなストレートなワードを使うタイプではなかった。
結果、plentyは外界と手を繋くことはなかったように思える。
共感性は高いが、共感を求めようと手を伸ばすことはなかった。
円になったよ でも
演技だったよ
嘘だから さよなら
(plenty-空が笑ってる より)
こういった力の強いフレーズの中でも押韻で遊んでみせるセンス。
キャッチーとはやや遠い詩世界を持っていたplentyが、
その詩世界を持ってここまで評価を上げた原因としては、こういったところにある。
つまり、江沼氏が持つメロディセンスや曲展開の構成力など、
詩部分以外のポイントも総じて高水準であったためであった。
先ほども書いたが、
自分の中で長く抱えた悩みを誰にも相談せず、
夜な夜なボイスメモに吹き込んだような「生」感。
その魅力に踏み込ませるに至ったのは、
曲自体のクオリティの高さあってのことだったと思う。
そんな彼らが、最も「繋がる」ことを望んだ曲があった。
plenty – 人との距離のはかりかた
plentyという歴史が閉じた今振り返ってみれば、
これほど「人との繋がり」へ積極的な言葉を綴ったのはこの曲が一番であったと思う。
言葉にするだけ無駄かもな
でも言葉にしなくちゃダメだよな
誰かに頼まれた訳じゃないけど
信じたいんだよ 似たもの同士だろ
(plenty-人との距離のはかりかた より)
呼びかける言葉は、これまでないくらいに優しく、ねじれがない。
夜な夜な一人で抱えた問いかけへの答えが、
ただ窓の外への放出ではなく、
はじめて特定の個人を意識して向けられたのがわかる。
この曲のラストは、「僕の声が 届くといいな」というフレーズで締め括られる。
呼びかけではなく、願いで締められる。
誰に向けての言葉であるか、曲中でも移ろいがあるのである。
そんなリアルタイムな心境まで真空パックしたこの曲、
これ以上ないくらい愛おしく、優しい。
改めて、
plentyは私が知る中で最も硬派なバンドであった。
ファンとしては、ブレイクする為に多少の方向転換を望む気持ちもあった。
ただ終わってみれば、完遂という言葉がぴったりのスタイルであったと思う。
plentyはplentyを完遂した。
曲がることなく真っ直ぐに続いたplentyの歴史は、
そのものが作品のようにすら感じられる。