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音楽コラム

(後編)だらっっとーーーー!!とだらっとじゃなく叫ぶ理由(ASIAN KUNG-FU GENERATION/「ソラニン」

前回(だらっっとーーーー!!とだらっとじゃなく叫ぶ理由(ASIAN KUNG-FU GENERATION/「ソラニン」))の続きである。

サビで歌われる歌詞というのは
「抽象的でスケールが大きく、力強い言葉」がふさわしいと前回話した。
AメロBメロに比べ、メロディのキーもあがり、楽器の音数も増えるサビではその方が熱を込めやすいからだ。

日本のロックバンドの歌には実際その条件を満たした曲が多く、我々はそういった曲に耳を慣らしてしまっている。
そんな耳で聞くと、違和感を覚える可能性があるのが、
ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ソラニン」である。

問題はこの曲のサビ、

たとえばゆるい幸せが
だらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ

サビで歌う「だらっと」という部分に最もキーが高い音が来る。
これが違和感の種だ。
「だらっと」という、力感とは真逆の意味を持つ言葉に果たして気持ちを乗せきれるのか?

 

 

ここからが私の「深読み」である。

この曲、そして映画(漫画)のテーマの一つにモラトリアムというものが挙げられる。
いわゆる大人への猶予期間を過ごす若者たち。
何かに乗り遅れたような不安、
しかし自分で選んだ道である以上、それを認めることもできない。

原作の登場人物である「種田」(年齢20代前半、フリーター)はそんな青年である。
彼にとっての「選んだ道」は「バンド」であった。

何か人と違うことを、でかいことを成したいという気持ちから飛び出したことを後悔し始める。
あの時は「決意」だと思って選んだ道だが、時が経つごとにただの思いつきや気まぐれであったように思えてくる。

あの時、こうしていれば!
あの日に戻れれば。

後悔の中思い出す日々、「だらっと」過ごした日々に何を思うか。

怒りである。

楽しいはずだった日々だが、それは制限時間や猶予から目を背けていたせいだ。
「やらねばならない」を無視した結果訪れる、それなりな日々を幸せと錯覚することもあった。

しかし、ソラニン(毒素)がついに芽を出し痛手を負った今、あの日々がこんなにも憎らしく思えてしまう。

強い後悔と怒りを感じる、あの「だらっと」過ごした日々。
それを思い出す瞬間であるから、力もこもっているのである。

と、以上が深読みである。
これはいわゆる「考察」ではないので、
制作側がこのギミックを意図的に入れていた可能性はほぼゼロであるが、
こんな風に思ってから私はソラニンの味がとても深くなったので共有したかった次第である。

実は他にも、なんでこのフレーズを叫ぶ?という疑問を無理やり深読みすると面白い曲がいくつかあるのだが、
それはまた紹介する、かもしれない。

以上です。