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創作 アイデア

本当の怠け者は見逃し三振すらしない

 

「空振り三振はしても、見逃し三振はするな」という風潮がある。

要するに、

バットを振らない、つまりチャレンジすらしない、というのは良くない。とりあえず振ってみて、もし空振り三振だったとしても価値がある。

とそんな感じのニュアンスである。

さっそく屁理屈を書くことになるのだが、
厳密に言うとこの理屈は、「フォアボールによる出塁」という要素を無視している。

野球に疎い方のため説明するが、
ピッチャーはバッターに対し真ん中以外の場所(ボールゾーン)に4回球を投げてしまうと、フォアボールという判定になり、バッターは一塁に進むことになる。

つまり結果だけ見れば、ヒットを打ったのと同じ状況になるのだ。
初球を打ってヒットになるよりもたくさん球数を投げさせている分、ピッチャーのスタミナを消費させるというメリットもある。

要するに、見逃し三振してしまった人だって色々考えているということである。

では、本当に消極的な怠け者はどういったプレイをするのか?

 

結論、
本当の怠け者はまず野球部に入らない。

 

極論であるとは思う。

・「バッターボックスに入らない」
・「スタメンに入れない」
・「試合に来ない」
あたりと迷ったが、これが一番しっくりきたのである。

しかし、これを読んでくださっている方の中に、
元野球部でかつ「自分は怠け者だ」という方もいるかもしれない。

そりゃあいるだろうな、と思う。
早くも矛盾するようで申し訳ないが、
「本当の怠け者は野球部に入らない」というのは比喩であり、私が言いたかったのは

それくらい初期の段階で諦めているということである。

カレーなど作ったことないが今日は作ってみよう!
と思ったが、食材を買いに行くスーパーへ持って行くエコバッグが見つからないから断念

筋トレを始めよう!
と思いAmazonでダンベルを買おうと思ったが、久しぶりすぎてログインパスワードが分からなくなっていたので断念。

こんなレベルである。

こんなどうしようもないやついない、と思うかもしれないが、実は他人事じゃないかもしれない。
大袈裟でなくこんなレベルの断念、というのは意外にも多くの人が日常的に行なっていることである。

「いや、やってない!そんな記憶なんてない!」という方。
それもそのはずである。なぜなら、

「やってみた」ではなく「『やってみよう』と思った」だけの記憶なんて脳に残らないからである。

あなたは過去、
スパイスからの本格的なカレーを作ってみようとか、
駅前にできた個別ジムに通ってみようとか思ったことはないだろうか。
半沢直樹を一話から観ようとか、
iPhoneにちゃんとした保護シールを貼ることにしようとか思ったことはないだろうか。

これら内の一つでも過去に経験があったとして、それをどんな過程で「やっぱりやめた」か覚えているだろうか。
まったく思い出せないか、かなりぼんやりした理由しか浮かばないと思う。

 

 

何か新しいことを始めたり、逆に悪い習慣を辞めようとしてみたり、
憧れていた何かに踏み込んでみたり、ずっと走っていたレールを降りてみたり。

それを諦めるための言い訳はいくらでも溢れてくるし、人は言い訳するときが最も饒舌になるものである。そして、言い訳を放つのは、それが初期の段階であるほど格好悪い。

野球部にも入らなかった奴が「もし大事な場面で三振したら…」と言ったならケツでも蹴り飛ばしたくなるが、
不動の四番まで上り詰めたバッターが同じセリフを言ったならば「これが四番の重圧か…」と場合によってはむしろ格好良く見える。

人は経験を積むごとに、悩み事や不安、見える景色というのがアップデートされていく。
そういったものは他人と比べて優劣をつけるものでは決してないが、

その世界に飛び込んだ自分と、諦めたことすら忘れていた自分とでは確実に優劣というものが存在する、と私は思っている。

私は、どうせなら格好つく不安や悩みを抱えたいのである。

最後になるが、
今年は私の応援している阪神タイガースに必ずも優勝してほしい。
見逃しだろうが空振りだろうがいくら三振してもいいので、死んでも優勝してください。