「思い出せそうで思い出せない」なんてときがある。
あれってなんだっけ…えーー、、、
と、そんなとき人は不思議と目線を上にやることが多い。
私もついそうしてしまう。
これがなぜかというと、思い出せない記憶というのは上空にあるからだ。
記憶は脳(頭)の中にあり、
その内、忘れられたものはふわ〜と上へ登っていってしまう。
まるで手元を離れた風船のように。
「何かを思い出す」というのは、まだぎりぎり上空を漂っている風船に手を伸ばす行為と言えるだろう。
私は昔から面白いと思ったネタをメモしている。
いずれ書く文章や音楽のためにだ。
思いついたそのたびにわりとこまめにメモしているのでその量は膨大である。
そう、「思いついたときに」というのが私にとって大事だった。
なぜか私は眠りに落ちる直前に思いつくことが多かったので、そんな瞬間でも無理矢理起きてiPhoneのメモアプリを起動し、それを打ち込んでいた。
しかし、半分寝ているような状態なので、メモするのがどうしても億劫なときがある。
このまま寝ればとても気持ちがいいのに。
でもすごく面白い内容なネタなような気もする。
うーん、どうしよう。
と考えているうちに、ネタがふわ〜と手元から逃げそう、つまり忘れそうになる。
風船の紐を握った手が緩んでしまい、
握りの甘くなった「グー」の中を紐がシュルシュルと通り抜けていく。
「やばい、いち早くメモしなければ!」でメモすればよい。
が、10回に1回くらいは「まあ大したネタじゃないだろう」と風船を自ら手放すときもある。
もしかしたら明日起きてまだ覚えているかもしれないし、たとえ忘れても「縁がなかった」ということにしよう、と。
大抵、風船は戻ってこない。
そんなことが10回に1回くらいに留まっているのは、
それがいずれ良作に繋がるかも、と少し期待しているからである。
過去記事で、温めているアイデア達は成仏できない幽霊のようなものだと書いたが、今回は風船であった。
いずれも、軽くてふわふわしたものだ。
ネタやアイデアなど所詮そんなものだが、
同時に「どちらも夢のあるもの」という共通点もあるなと思う。