自分の過去の発言を引用するのはナンセンスかもしれないが、
こちらを見てほしい。
コンビニでアンパンマンチョコを買うとき、「23歳がこれを買ったらシュールで笑えるんじゃないか」という気持ちが少しある
でも実際はそれを誰に見せるでも話すでもなく、家でひとり食べ終えるだけ
そのとき感じるのが最も純度の高い寂しさであるのだ
— 岡元 望 (@okagen_key) April 12, 2019
ふいにこの頃のことを思い出した。
3年前の私のツイートである。
ここでいう「純度の高い寂しさ」を説明するにあたって、
Twitterには書ききれなかった体験談がもう一つあるのだが、
それはツイートと同時期の3年前。
私の職場が入った建物はそこそこ大きな公園と隣接していて、たまにそこで昼食をとっていた。
15分ほどで食事が終わったあと、いつもなら音楽を聴いたりyoutubeを見たりする時間を、「せっかく外に出たので」ということで公園で昼寝して過ごすときがあった。
昼寝といっても、寝転がって目を閉じているだけ。
園内の噴水の囲いがベンチのようになっていてそこに寝る。
閉じた瞼で眩しさを感じながら、私はぼんやりと思っていた。
今の自分の状況はシュールに違いないと。
大変痛々しいが、そんな感覚にどこか心地よさすら感じていた。
心地いいと思っているので、
最悪その場を誰か知り合いに見られても構わない。
いや、むしろ見て欲しいという気持ちの方が「恥ずかしい」より勝っている。
「何してんの」と聞かれ、答えられなくても構わない。
私が思うシュールを、きっと誰かにも見て欲しかった。
もちろん、昼寝で寝転びながら「誰か見てくれ」と常に願っていたわけではない。
ぼんやりと、心の底で思っている。
きっとそれは最近始まったことではなくて、
私は人生でずっと、自分の思う「面白い」を誰かに披露したかったのだ。
そう、アンパンマンチョコを買うにしろ、
スーツを着たまま噴水の前で寝るにしろ、
私は誰かに見られていることをどこか望んで、行動していた。
まるで、自分は何か物語の登場人物で、
誰かが自分を俯瞰的に見ている、
そんな妄想のもと、
「立ち振る舞って」いる。
こんな考えには、確かなんたらシンドロームとかいう名前があった気がするが、
ずっと前にネットで見つけてメモしなかったらから忘れてしまった。
ツイートに書いたようにこの願いは叶わないことが多い。
誰にも披露できなかったアイデアが大変つまらないものに思えてきて、
遅れて寂しさや虚しさがやってくる。
ただ、アンパンマンチョコと昼寝、二つのアイデアに関してはこうやって披露(?)できた。
いや、これは成仏と言っていいだろう。
一方、日の目を見なかったアイデアは地縛霊のように私の中に居座り続け、
どこか私の心のマイナスな部分を色濃くしていった。
ここまで読んでくださった方は、
なんとも哀れなやつ、とお思いかもしれないが、
こういったボツアイデア、すなわち地縛霊は誰の心の中にもいると思う。
幼い頃は両親などの気を引くため、アイデアをどんどん発信していたと思う。
しかし大人に近づくにつれて、それもなくなっていく。
どこか自分の中でストッパーを作ってしまっていた。
私だってストッパーを作ってしまった。
なので、披露できなかったアイデアはメモ帳に記録していくことにした。
始めたのは18歳くらいの頃、iphoneのメモアプリに逐一そういったことを書いて行った。
元々は歌詞を書くためのネタ帳のようなものだったが、だんだん「ネタ」であればなんでもありになり、
2021/8/20現在では31659字になった。
文章として書いてこの文字数ではない。
・アンパンマンチョコ買う
・公園で昼寝
とこのように箇条書きで書いていっての31659字である。
この膨大な量の地縛霊を私は成仏させなければならない。
それが私の人生の目的でもあり、
寂しくて哀れな自分を救う一つの手段でもある。
今回、二つのアイデアを成仏させることができた。
これが皆さんにとって面白かったかは分からないが、
少しでも面白がってくれないと、供えの花も浮かばれないというものだ。