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週刊 結局やらない

「その労力を他に使えばいいのに」について ~サルゲッチュの攻略本を暗記した私~

 

「その労力を他に使えばいいのに」という言い回しはよく聞く。

私は幼い頃、ゲーム「サルゲッチュ2」の攻略本を一語一句違わないレベルまで暗記したことがある。別に覚えようと思って読んでいたわけではなく、好きで読んでいた結果いつしか暗記していた。

「この本、ほとんど覚えてる」と言う私に父が、攻略本の適当なページを開き、目に入った文章を読み始める。すると下の句を答えるかのようにその続きを私が唱える。

「すげえな」と口にする父親は、感心するとも呆れるともいえない微妙な表情をしていた気がする。これは今思えば比較的優しいリアクションであった。

私が父であったならこんな息子になんて声をかけるだろうか。
「その労力を他に使えばいいのに…」と正直に言ってしまいそうである。

なにより今の私が当時の自分に対してそう思うのである。

というのも、攻略本の内容などその先一度も役に立たなかったし、というより早い段階で忘れてしまったためだ。幼少期の貴重な脳のメモリをそんなことに使うなら、英単語の一つでも覚えたほうがよっぽど真人間になれた。
あやうくピポサルよりも阿呆な大人になるところだったのである。

あと、「好きで読んでいた結果自然と覚えた」という過程があまりに理想的な知識習得の形で辛い。

だから私は当時の自分に「その労力を他に使えばよかったのに」と思うが、
同時にそれは無理だということもわかっている。

 

「頑張れること」や分野を好きに選べるなら人間はこんなに苦労していない。

 

別の例だが、私は昔から名探偵コナンを見ていてこう思っていた。
「なぜ犯人全員がこんなにハイレベルなトリックを考えられるのか?」と。

そりゃあ犯人の中にはもともと頭が切れる人間もいただろうが、
逆にどうしようもないアホだっていたはずである。
実際、犯人の中にはどう見ても知性のかけらもないように描かれている者もいる。

なのになぜ、あのコナンを悩ませるようなトリックを思いつけるのか。

それは「奴を必ず◯ろしてやる」という強い意志があるからである。

よく考えたら当然である。
誰しも嫌いな人間くらいはいるものだが、
「そいつを本気で◯ろしたいと思うか?」と聞くと数は少数になるだろう。
イエスと答えた者の中でも、本当に実行に移してしまう者など極々一部だろう。

平和の中で暮らす私のような人間にとっては想像もつかないほどの憎悪である。

そして、この憎悪も一つのモチベーションである。
この「絶対に○ろしてやる」という意志がアホのIQを引き上げ、あんな巧妙なテクニックを思い付かせるのである。

もし犯人に、「そんなすごいトリックを思いつくなら、ミステリー作家にでもなりなよ」といっても意味はなく、なったとしても良いトリックは浮かばないだろう。あくまで標的がいたから発揮できた能力だったのである。

 

 

「その労力を他に使えばいいのに」が無駄な意見であることはわかっていただけただろう。

そう言いたくなる気持ちは攻略本の件で私もよく理解しているつもりだ。
だからせめて、こんな風に考えてみてほしい。

 

このセリフを吐かれる人間というのは、大抵「徳が低い」とされる分野で努力している場合が多い。攻略本の内容を覚えるのもそう。これが英単語帳であればこんなセリフ絶対に言われなかった。

しかし大人になった今、友人として飲みに行くなら、

・「サルゲッチュ2」の攻略本を一語一句違わないレベルまで暗記しているやつ
・ TOIEC満点のやつ

どちらが面白そうだろうか。

私は前者のやつと飲みに行きたい。
くだらないと思えることに没頭してきた人間のエピソードというのが、私はたまらなく聞きたい。

なんでそれを極めるに至ったのか。その気持ちなど理解できなくても、「へー」と言いながら笑う時間は素晴らしい。