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週刊 結局やらない

お前は〇〇年間何をやってたんだ?に答えられる人間などいるだろうか

 

なのに私ときたら ふらふらふら
昨夜も今朝も ふらふらふら         -(星野源-次は何に産まれましょうか) 

 

 

「お前は〇〇年間何をやってたんだ」というフレーズがある。

こう聞かれた人間は、必ずと言っていいほどうまく答えることができない。
理由はもちろん、何もやってなかったからだ。

ここでいう「何もやってなかった」は、
胸を張って言えるようなことはやっていない」という意味である。

そりゃあ人は生きている限り、何かしら行動はしているのだが、
その一つ一つが「昼寝」とか「youtubeを見る」とか「夕方に酒をのむ」のような、
「何かした」にはカウントできないような内容の場合、人は「何もしてなかった」ことになる。

過去記事にも書いたのだが、起こした行動が「何かした」に入るかのジャッジ、これが厳しいか緩いかは人によるものだ。

例えばとある休日。
午前中に5kmのジョギングをして、午後はゆっくりした後、家の掃除をする、
という1日を送ったとする。

これは私にとってなら有意義な1日である。追加で本サイトの記事でも一つ書けていたら満点である。しかし、人によっては「今日は朝走っただけの1日だった…」と思う人もいるだろう。

その人がどんな行動をしていれば満足であったかは知らないが、
私からすれば「忙しくて大変そう」に見える。皮肉ではなく。

「正しい」生活を常に送っている人は、自分に課すハードルも高くなるのだろう。
ハードルが低い人と高い人、どちらが生きやすいかはわからない。

きっと、自らの心に優しい生活を送るなら「低い」方が良いだろう。
しかし自分をもっと高めていきたい願望のある人は「高い」方があっている。

かくゆう私はというと、
だらだらしているくせにハードルが高いタイプである。

いや、先ほど「ジョギングしただけで有意義な1日と思える」というようなことを書いたのだが、これはある意味本当である意味うそである。

というのも、
ハードルが低い方が日々を楽しく過ごせるとはわかっているのだ。
その方がいいと思う節があるから、「ジョギングだけでも十分だ」と私は言える。

しかし、何か人生に対してリストアップする目標だけは多いものだから、
それを叶えるための動きがなかったなら、
全てしょうもない1日に認定されてしまったりするのだ。

これは非常に微妙なニュアンスなので伝わらなくても良いのだが、
私が言いたいのは、
「だらだらしているくせにハードル(目標)が高いタイプ」の人は結構いるのでは?

というところだ。

 

 

ダイエット広告なんて見てるとよくわかるのだが、
みんな「痩せた」という実感がすぐに欲しいものなんだな、と思う。

絶対痩せます、でも一年かかります

と言われるとげんなりして、しょうもないとブラウザをバックする。

目標を叶えるために何か今日、今すぐに実体のある結果が欲しい。
一歩進んだのなら、その足跡がしっかりと見たい。

しかし、そんなに上手くいかないものだ。
1日で人は痩せたりしない。

だから、せっかくのジョギングも「何もしてなかった」にカウントしてしまう。

何かしたけど、何もしてない。

人様に言えるようなことはしてない、というのも本当。
でも何より、劇的なことなど何一つ起きなかったから、というのも本当。

自分を生きづらくしているのは自分なのである。

 

なのに私ときたら ふらふらふら
昨夜も今朝も ふらふらふら

次は風にでもなるのでしょうか
きっと風にでもなるのでしょう         -(星野源-次は何に産まれましょうか)