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音楽コラム

藤井 風、「ほっといても売れる」と思わせた才能 &「きらり」レビュー

 

人でありながら荒削り感がない、
さらりと心地良い仕上がり。

柔軟剤か何かの宣伝のようだが、
実際に柔軟剤のCMソングでも問題なさそうな楽曲、藤井風「きらり」のMVが昨夜、2021/5/21に公開された。

踊ってる…
ついに踊ってるじゃないか。

ミュージシャンがMVで踊り出したときは大抵驚かされるものだが、
今回は比較的すぐにしっくりきた。
これだけビジュアルも良くてピアノも歌も上手くていい曲も作れるなら、
そりゃあ踊れもするだろう。

曲の展開としても、
Aメロ→Bメロ、
からのもう一度Aメロ、Bメロを経てのサビという構成。サビが開放感あるサウンドなだけにその焦らし効果は高い。
MVでもそんな演出があるが、高速道路でも走っていて、長いトンネルを抜け一気に光が差すようなイメージである。

もっと感覚的に言うなら、
ジメついていた洗濯物がトンネルを抜けた瞬間、
突然ファサファサに乾き、
おまけに香り付きで出てくるような感じ。は?

 

 

たまたま昨日書いた記事と内容が被っているが、
こういった構成の曲は、ギミックが知られた2回目以降の視聴にも効果的である。
焦らされ焦らされ…の後にドン!が来ると分かっていての視聴。

言うならば、光を浴びるために一度暗いトンネルに突入する。
つまり、自ら焦らされにいくのである。

詳しくは昨日の記事で3倍くらいの熱量で書いているので、興味あればぜひ。
一撃必殺!サビが一度しか来ない曲3選

さらに、
サビの2フレーズ目でオクターブ上げのAメロが使われるというギミックも楽しい。
遊び心満載で聴き手を飽きさせないという意味でも、疾走感のある曲である。

 

 

さて、ここで話は藤井風本人の話に戻るのだが、

まだブレイク前のアーティストに、
「売れてくれ」だの「きっかけがあれば」だの思うことがあるだろう。

しかし藤井風に関しては
「ほっといたら売れるだろう」という思いで見ている層が多かったように思う。
理由は先ほどから述べているような、多要素における圧倒的ポテンシャルである。

これはアーティスト側からすればきっと喜ばしいことではなくて、
その無責任な思い込み故に失われたプッシュがあったかもしれないのだ。
「良いと思ったならプッシュする」、
アーティストが望む応援の手段にこれ以上のものはないのだ。

視聴者は皆、「才能の目撃者」になりたいという願望がある。

「まだ少ない注目度の中、頭を打つような才能に出会った。
しかし未だ未完成でありこれがどう形づいていくのか見届けたい。」

そういった者がその才能を周りに伝えるときは、
自らを目撃者、
そしてアーティスト本人を目の前で起きた「事件」や「事故」のように表現するものである。

わかりやすさを優先するために表現が悪くなるが、
崎山 蒼志の出現などまさに事件か事故のようなイメージで、
まだ自分しかみていない、気づいていないと皆に思わせるような力があった。
(マイナスなワードの例えですみません、崎山蒼志君応援しています)

それに対し藤井風のようなスター性の強いアーティストの出現は花火のようなもので、
目撃したとてみんなも見ているし音も聴こえただろうと感じるのである。
だから、SNSへの投稿なり口コミなりも今更されなかったりする。

しかし、実際のところ藤井風はブレイクし、昨年秋すでに武道館ライブも果たしている。
これはつまり、
もう「目撃」だのなんだのという段階を超えるのに成功したということである。

順風満帆に見えた末のこのブレイク、
彼が2010年に初動画をyoutubeにアップしてから足がけ10年目のことである。
当然、10年間ずっと同じ熱量で燻っていたわけではないだろうが、
それにしたって長い年月である。
「ほっといたら売れるだろう」で失われるプッシュやブレイクのチャンスもあったのだろうとよくわかる。

長々と書いたが、結局何が言いたいかというと
良いと思ったら素直に応援するべき、ということだ。
この才能を独占したいとか、売れ始めたからつまんないだとか言わず、
素直な心の感想に従ってアーティストは応援したい。

それこそが、そしてそれのみがアーティストが望む応援の手段なのである。
ちゃんとCD買ったりライブ行ったりしよう。
今はこういったご時世でライブも思うように出来ないが、
アーティストは必ず別の手段での活動を考え、行っているはずだ。