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音楽コラム

「とべとべおねいさん」のある一節が心を打つ話(クレヨンしんちゃん 主題歌)

子供向けアニメの主題歌が、実は深い内容であった、というのはよくある話である。

「アンパンマンマーチ」などその典型で、

なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!

という序盤の歌詞も、年齢を重ねるほど沁みてくる内容である。
残業帰りの通勤電車の中で聴けばさらにクリティカルヒットするだろう。

私は子供の頃、この歌詞をどんな風に捉えていたのかと考えてみたが、
きっとどうとも捉えていなかった。

幼少期に聞くアニソンの歌詞は、
ちゃんと覚えて歌えるようになったくせに意味はわかっていない」、
そんなもんである。

それが10年ほど経ち大人になって聴くと、
あの頃の記憶が蘇る懐かしさと、
「こんなことを歌ってたんだ」という新たな気づきが重なり、
大きな感動になるのである。

その「新たな気づき」の中で
私が最も心に響いた曲を紹介したい。

とべとべ もうチョット めがさめるまで

とべとべ もうチョット めがさめるまで

                                         (「とべとべおねいさん」より)

「クレヨンしんちゃん」の主題歌だった「とべとべおねいさん」である。
1998年4月24日から2000年5月26日の約2年間起用された。
アクション仮面としんのすけがデュエット方式で歌う楽しげな一曲である。

※(「公式の」音源や動画はどこにも見当たらなかったのでリンクは載せられません。ご興味ある方は検索してください)

そして、上のフレーズが私の心に響いた部分である。

が、ここだけ見ても何が心に響くのか人は分からないと思う。
解説のためには、他部分の歌詞の紹介が必要だ。

まもりたいあなたを まのびしたわたしを
ちきゅうがむちゅう みんなのヒーローさ
                             (「とべとべおねいさん」より)

ちきゅうがむちゅう
なんとハッピーなフレーズ。字面も音感も良い。
こういった無条件に楽しげなフレーズが続くとワクワクさせられる。

愛だらけ さいたま そらのはて みえたら
おねいさん あしたを まゆげにのせて

                                 (「とべとべおねいさん」より)

意味がわかるようでわからない歌詞だが、
まあ楽しければよいと思わせてくれるのがクレヨンしんちゃんであった。

こんな感じで、深い意味はなく楽しげな雰囲気のまま進んでいく曲なのだ。
5歳の少年であるしんのすけと、子供の憧れの象徴であるアクション仮面の歌う曲。
そこに難しさや、現実的な要素など介入することはない。

とべとべ もうチョット めがさめるまで

そう、これは現実ではなく、夢の話なのである。
実際、この曲が起用されたエンディングの映像では、
しんのすけが布団と一緒に天に昇っていくシーンがある。

その周りにはセクシーなおねいさん達が。なんと夢のある夢だろうか。

こんなに最高に楽しい夢の中、歌う。
「飛べ飛べ、もうちょっと。目が覚めるまでと。

「飛べ飛べ、どこまでも」でも
「飛べ飛べ、目よ覚めないで」でもない。

妙に現実的で、多くを望もうとしていないのである。

この世にたくさんいる人間の中には、「あ、今夢の中だ」と夢を見ながらにして気付ける人物がいるという。(解けかけた魔法が一番辛い(MOROHA-バラ色の日々)心の声メロディ化計画 6曲目)でも書いた内容だ。
ここの歌詞はそれくらい、
夢の世界というものが刹那的であることを理解しているように思えるのだ。

仮に、今自分が夢の中にいると分かってしまったなら、人はどう思うのだろうか。
まさに「夢のような」楽しい内容であったなら、現実でないにしろいつまでも続いて欲しいと願うのだろうか。
それとも、蜃気楼の喜びであったと知り落胆して、「もう目が覚めちゃっていいよ」と思ったりするのだろうか。

とべとべ もうチョット めがさめるまで

は、ちょうどその真ん中くらいである。
いつまでも続く幸せでないとは分かっているけれど、もうちょっと夢みさせてほしい。
そのくらいのニュアンスに感じる。

アンパンマンマーチは通勤電車の中で聴くと響くと書いたが、
このフレーズは私にとって24時間どのタイミングでも胸を刺すものである。

いいことがあれば「夢のようだ」と思い、
恐ろしいことが起これば「夢であってくれ」と思う。

結局どっちがいいのか分からないから、せめて目が覚めるまで、楽しませていただくのである。