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音楽コラム

150km/hで飛んでくる美しき煮こごり – みるきーうぇい『朝焼け』

 

削り、という表現はよく若手アーティストに使われる。

みるきーうぇいというバンドの曲を私が始めて聴いたのは2014年のことで、
まさにそういった印象だった。

卓越した歌唱力をもって「歌い上げる」系のボーカルとは違う。
しかし、明らかに歌のパワーによってこの曲は生きている。

この、感情のエネルギーを無理やり歌にぶち込んで発出するような手法。
荒削り故にできることなのだと思っていた。

しばらくこの他の音源達を聴いていたが、
長らくチェックすることから離れてしまい、2021年になった先日、
twitterで見たMVを懐かしさもありながら再生した。

良すぎる。
そんな当たり前のことはともかく、
なんというか、荒削りのままである。

弁明するまでもないと思うが、
これは「成長していない」というわけではない。

この荒く削られた質感は、みるきーうぇいに根付くスタイルだったのだ。

ただ、個人的には「荒削り」よりしっくりくる形容があるのだが、
共感してもらえる自信がない。

まあ言ってしまうと、みるきーうぇいの曲達は
ものすごく美しい煮こごりのようなものだと思う。


煮こごりというと、肉や魚の煮物をゼリー状に固めた「あれ」である。
コラーゲンたっぷり。

なぜこの曲が煮こごりなのか、
本曲の歌詞から見ていく。

朝焼け 青くなる空
夜を掻き消していく
あの人の声をただ聞いていた
夜を搔き消していく(
みるきーうぇい「朝焼け」より)

思い出と戦っている心情が伺える。
「あの人」と言われると、自分が先日書いたひどい記事↓が頭に浮かんでしまうが、
それは一度忘れよう。【禁断】5分で伝授! 不謹慎だが最高の失恋ソングを書く方法

学校が怖い
地下鉄が怖い
あの人が弾いたギターの音を
忘れるのがただ怖い

冒頭にリンクした「カセットテープとカッターナイフ」もそうだが、
思い出の中にいる誰かや、思い出そのものに心の多くを費やしている。

この「朝焼け」に関して、曲中のパートは以上の2ブロック(Aメロ、Bメロ)のみである。
以降この二つが繰り返されるという潔く気持ちいい構成だが、
それぞれのパート共に、歌詞一音一音がはっきり発音されるよう、
しっかりと拍を置いたメロディーになっている。

つまり、「歌を聴かせる」曲になっているのである。

そうして、
「歌」を届けるにあたっての無駄な部分は削ぎ落とされているのだが、
それと反するように曲中の「私」の心は渦巻いている。

「思い出と戦う」というのは絶対に決着のつかない行為である。
あの時の楽しい思い出もしくは辛かった思い出は、
当時のマインドを持つ自分や周りの誰かによって作られていて、
それがもう存在しなくなった以上、
思い出に「書き換え」は通用しない。

だからこそ、決着「らしき」ものをつけるには、
「折り合い」だったり「忘れる」ことに頼らなければならない。
いずれにしろ、時間が必要になるだろう。

その苦しい時間。
不純物のような感情が渦巻く心。
痛む胃を抱えて眠る夜。
そんな中で煮詰まるぐっちゃぐちゃの感情が、歌になることでむりやり固められる。

京都の路面で売っているような美しいゼリーとは違う。
紅葉の葉みたいなのが閉じ込められたようなやつではなく、
肉だのなんだの茶色いものが混ざりまくっている。

しかし、この世のうまい食べ物はおおよそ茶色である。

そんな塊が飛んでくる時、あまりに綺麗な輝きを放つのである。
不純物は混じりまくっていて、お世辞にも美しいとは言えないが、
それが固まりになってとんでくるとき、非常に美しく輝く。

さながら、150km/hで飛んでくる美しき煮こごり

ということである。

みるきーうぇいの曲はそんな印象だった。
この例えが伝わっただろうか。

不純物の多い感情を歌う曲なら、この世にいくらでも見られる。
そもそも負の感情(不純物)というのは皆の心に必ず存在するからだ。

しかし、それをこんな風に凝縮して形にするのは難しい。
共感性を高めるためもっと食べやすくして歌にすれば、
熱量というものが損なわれる。

私過去記事でいう「フラッシュバック的熱量」である。↓
《歌詞考察》リーガルリリー『トランジスタラジオ』J-rock史に残る熱量 (前編)

共感性を高め、熱量を失った曲が悪いというわけではなく、また別の魅力というものがある。
しかし、みるきーうぇいに関しては、
数年経っても変わらないその熱量、そしてその届け方に私は衝撃を受けたので、
こうやってべらべらと紹介している次第である。

ぜひ、他の曲もチェックしてほしい。